「心にゆとりを持とう」なんて、絶対できっこない

こんにちは。

職人のたまご、奥村です。

 

ちょっと否定的なタイトルですが、そうではありません。

正しくは、

「心にゆとりを持とう」なんて、絶対できっこない。

「心にゆとりを持とう」なんて、このままでは絶対できっこない。

という意味です。

 

なら、それをタイトルにすればいいじゃん。

そう思うかもしれませんが…。

嫌なんです。

タイトルが長いのが。

 

心にゆとりを持とう?

 

では、なぜ「絶対できっこない」と思うのか。

僕なりの考えを言うとズバリ…。

「心にゆとりを持つ」という表現は「抽象的だから」です。

 

「心にゆとりを持とう」と聞いたら、誰もが「その通りだよね」と言うと思います。

では実際、どうやって心にゆとりを持つのか。

ここを考えなければなりません。

 

さらに例を挙げると。

「続けることは大事」と言われますよね。

誰もが「その通りだ」と言うと思います。

じゃあ実際に、何かを続けられた人はどれだけいるでしょうか。

続けることが大事とわかっても、なぜ三日坊主で終わってしまうのか。

ここを考えなければなりません。

 

 

抽象的な言葉だと、たとえ大事なことでも心の芯まで伝わりません。

言うなれば、雲をつかむ感じ。

だったら、どうしたらいいのだろう…。

どうしたら、抽象的な表現を心の芯まで届かせることができるのか。

 

 

僕の考えは…。

「もう、自分なりの解釈にしちゃえばいいんじゃないか」

という結論に達しました。

 

では、僕なりの「心にゆとりを持つ」とはどういうことか。

それは…。

「ありがとう」と言えることだと思います。

 

 

どんなときでも「ありがとう」と言う心持ちのことを「心にゆとりを持つ」と表現しようと思います。

 

正しい、正しくないは関係ありません。

僕がそう思えば、それでいいんじゃないだろうか。

 

では今、僕はどんな状況でも「ありがとう」が言えているか?

なかなか言えていないような気がします。

 

疲れ切っているときは、どうしても周りに気を配ることができていません。

つまり、「心にゆとりがない」ということです。

 

 

これから僕は、どんなときも「ありがとう」が言えるように過ごしていきたいと思います。

そうすることで、「心にゆとりを持つ」ことができる。

そして、健やかな日々を過ごすことができると信じています。

 

ほじゃ、今回はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました。